闊達行雲の書評・仏教研究ブログ

書評や仏教関連の話題を書いていきます。

【体験談】犀の角のように

 

 

私たちが生きていく中で、幸・不幸をもたらすものの中に「人間関係」があります。自分が実際に働いていく中で知らされたことがありましたので、体験手記という形で投稿したいと思います。

・非正規労働

派遣・契約社員などの職種を経験してきました。

大事なことは、お金のためにそのような行動をしていても、あまりその仕事内容に興味関心がなかった。いわゆる「誰でもできるような仕事」であった・・・。そういう点があります。

工場勤務をしていたこともありましたが、その点は顕著で、自分が代替可能な労働力という“交換部品”であるという感覚を抱いたものです。長く続ける人は工程のリーダーになっていったり、派遣元のスタッフと仲良くしていったりする。そうでない人はだいたいにおいて、途中でやめていくか、病気になって去って行くか、やる気の感じられない人はキツめの工程に送られて、「続けるのか、辞めるのか」と、暗に退職を促されたりする・・・。そのような現場環境でした。

長時間労働の職場環境でしたね。長時間労働については、安倍政権下における働き方改革関連法の施行(2019年4月)により、時間外労働を「月45時間、年360時間」という時間規制が法律上制定され、違反した場合は罰則が設けられるようになりました。

それまでにも長時間労働の規制はありましたが、厚生労働大臣の告示という形式にとどまっており、違反した場合にも行政指導が行われる程度で、罰則はなかった。そのため強制力がなく、36協定で特別条項を設ければ、事実上際限なく労働者を働かせることが可能だったのです。

 

・体験談

 

僕の場合も工場勤務は一日の長期間を労働時間にとられる、そういう環境でした。

時給1250円程度で働き、入社祝い金という名目で支給もあった。金銭的には働く時間が長いため給与は多かったですが、心身ともに疲弊していました。で、退職後、調子を崩してしまいます。

離職する直前の段階では、職場での嫌がらせにあい、理不尽な作業内容で、こちらに何の瑕疵もないのに怒鳴られる。また陰口を言われることもありました。暗に、「辞めろ、お前は不要だ」というワケですね。その数日前には、なぜかささいなことで褒められたりすることもあり、「何か違うな、違和感あるな」と思っていたのですが、なんのことはない、伏線を張っていたのです。褒めて、落とすという。アメとムチで、労働者を服従させようとする会社側の姑息な戦略だったのですね(多分ね)。

僕と同時期に入社した人も、いつの間にかどんどん辞めていき、青白い顔をして会社の奴隷になって働く人が、優秀なパーツとして残っていっているという感じでした。金というアメを与える代わりに、長時間労働で従業員をこき使う。家が自営業で、サラリーマンでもない家に育った自分にとっては、そのような構造が少し垣間見えるだけで吐き気を催すような、そんな会社勤めでした。

資本主義構造下では、資本家のもとで働く労働者の「労働力」も、工場や生産設備などの資本に従属する「商品」のようになり、人間が、ものをつくる“主人”といった役割から離れていく。いわゆる“人間疎外”が起きる・・・。そのように言ったのはマルクスですが、自分自身がいつでもどこにでもいる交換可能な労働力という“部品”であり、会社側は辞めさせたくなったら、いつでも切ることができる・・・。そのような現実があった。なんというか自分の存在感の希薄さを思わずにおれませんでした。

毎日が労働とその維持のための生活に追われ、自分の生活の根本に関わるような政治・経済、あるいは人生全体に関わる哲学や宗教の話題は、遠い世界の出来事のように感じる。ただ日々の生活に追われ、休日はストレス解消のための買い物や、ゲームなどをしているうちに、あっという間に終わってしまう・・・。そしてまた月曜日が来るたびに、資本という機械設備、現場では工場のことを「宇宙船」と言う工程長がいて、上手いこと言うなと思わされたものですが、その監獄の宇宙船に放り込まれて、機械の一部になったような感覚で、金曜日までひたすら働き続ける。そうしているうちに年齢を重ね、年をとっていく・・・。死=後生に向かっていくのですね。自分自身に無常の風が冷たく吹き付けてくるのです。

その会社は決して「辞めろ」とは直接言わないし、派遣会社も言わない。でも暗に上記のような形で退職を迫ってくる。そのようなことを現実、経験してきました。中には、警察のやっかいになって、社会の居場所も彼女も失った若者、ピンハネに文句を言うおっさん、いつも何かに憤っている間抜けな中年男など、いろんな事情を持った人々が、群れを離れたカラスのように集まっていました。

周囲の環境はまさに“底”といった感じでした。そういった環境のことを思い出すとき、釈尊の言葉を思い出すのですね。

 

・「いつでもどこでもいい、何かやってお金をもらえばいい。創作ができればいい」

そう思っていました。

一つの職場に固執する必要性なんてない、なんでもやればいいんだ。大学時代には、土木作業から設営のバイト、レジ打ち、税務署のバイト、事務作業・・・。なんでもやりました。そのテンションのままでいた印象が強かったのでしょうか、社会に出てからも、大学の勉強とは何の関係もない仕事をしていても、「それでいいんだ。食ってさえいければ、それでいいんだ」そう思っていました。

でも文章を書いてみてわかってきたことがあるのです。それは忙しさの中で、自分自身を失っている姿ではないのかと。「創作を中心とした生活をしたい・・・」。年齢を重ねていく中で、どんどんその思いは強くなっていきました。職場を変えていっても、みんな自分のことで精一杯。家族がいたりする人もいる。そういう中で、若い頃のような元気や精神力、あるいは健康な身体のままでずっといれたらいいですが、それも“諸行無常”、つまり、終わりが来る。

その職場で働いている人にとってみれば、自分の地位や立場、職責を守るのにけっこうな労力をさいています。必死の人もいます。そういう時に、フラッとやってきて、何かやりたいことを抱えたまま、夢を持ったまま、その片手間に仕事をしている・・・。そういう人って、この時代、なかなか勤まるものではないと思います。

フリーターやアルバイトでも今は、けっこうな役割を求められる。そして働いていて感じるのは、年齢を経るにつれ、どんどんそういった派遣やフリーターで働いている人たちは、肩身が狭くなってくる。いわゆる“訳ありの人材感”が強くなってくるのです。職場の人的環境が悪くなっていく感じを、どこにいっても感じずにはおれませんでした。

「どこでもいい、創作さえできていれば、あとは何でもやれる」

その“どこでも”という場所の範囲はどんどん狭くなっていったのです。中途半端に興味関心をまんべんなく漂わせて、そうやって違和感なく生きておれるほど、他人も自分も甘くない。「自分も・・・」というのは、つまり自己自身がそのような環境が長続きしないことを知っている、ということです。そんな環境を一つも望んでいないということです。その中に身をひたし続けることが、自分自身に対する裏切りであり、自尊心を傷つけるものであるということを心のどこかで思っているということです。

年齢を経るにつれ、これくらいの年齢の自分は、こういうリズムで生活して、こういう制作物を作って・・というように“心”が求めていく。そういうのを無視したままで、若いときのように東奔西走することは、もうできない。心が定まってくる、やりたいことが決まってくる。そして言うのですね。

「僕は、このことのために時間や体力、お金を使っていきたい。人生をかけていきたい」と。

もっと30代後半になったら、地位もあり立場もある。そんなようなドシッとした立ち位置にいたい。そう思っていたのです。

それなのに、自覚なく、自分自身の心を傷つけてきました。“自分”というものが、何を求めているのか・・・。それ一つが、どうにも分からなかったのです。だからこそ、その環境では仕事が続かず、何度も職を変わりました。職場を変わるたびに、どこにいっても似たような人たちの群れと付き合わされる。この環境では自分は働けない。自分がダメになっていくだけ・・・。そう感じました。

一時の慰安を得ることはできても、長居することはできない・・・。工場勤務で心身のバランスを崩して病気になったとき、そのことが強く実感されていったように感じます。「もう他の道を選んでも、すべて経験してきてしまった。あとは同じことの繰り返し・・・。どこへ行っても、年齢的に30中~後半の自分のできることは限られてくるし、その年齢でアルバイトやパート、派遣ではたらいている人の環境は、どこへ行っても劣悪だと言わざるを得ない。だとしたら、この道しか行くところはない」

というように。

われらは実に朋友を得る幸せを讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

(スッタニパータ)

 

起てよ。つとめよ。平安を得るために、ひたすら学べ。心が落ち着かないこと、放逸、奮起しないこと、わが身を制しないこと、睡眠、倦怠、怠惰───これらは修行の妨げである。そのよすがを知り究めよ。───心の落ち着きが妨げられることの無いように。

(ウダーナヴァルガ)

 

関係性の中で、私たちは生きています。仕事は、そして人生も、人間関係の中で生まれてくる。ということは私たちが求めている“幸せ”というものも、つまるところ人の間で生まれてくるということです。職を変わっていたころ、転々とする人間関係の中で、今の今まで残ってきたもの、付き合いが続いている人は、一人もいませんでした。それだけ希薄な関係の中で、薄い付き合いの中で、自分自身も十分に自我をだせないままで生活してきた・・・。そのような感じがします。もちろん悪気はないのですが、多分そうなっていた。

でも、もうそれはやめにしよう。自分を出さない限り、何も掴み取ることはできない。そして自我を発揮する中で、上辺だけでない本当の人間関係も生まれてくる。

人の間で生きる=人間は関係性の動物です。幸福もその中で生まれてくる。だからこそ、自分と同等かそれ以上の人と出会ったならば、その人を大切にせよ。もし会えないならば、むしろきっぱりと独りで行け。そのように釈尊はいわれているのだと味わっております。

犀の角のように・・・。

ネットもSNSがありますが、つまるところ、関係性の中でいいね!や高評価ボタンが押されていくのだと思います。自分の今までの体験を反省して、そのようなことを感じています。

作品を通じた関係性を大切に暖め、自分自身を大事にするように、大事にはぐくんでいきたいと思っております。